歩く力

歩く力がなければ、人は階段を上れない。階段を上れなければ、行動範囲は狭くなります。

最近、介護保険を使った段差解消や手摺取り付けの仕事が増えました。
住宅新築の際も室内は、バリアフリーが常識となってきています。
日本の古いお家は、段差が大きい。
日本の家屋は、本来夏向きに作られています。高温多湿の日本の気候に対応して、床下の換気を十分に取りたい為にそうなってきたのだと思います。
日本の家屋の場合、室内は土足では無いので、内と外のケジメが付けられていることもあるでしょう。
しかし、今までの家に二階に上がり降りする所以外に手摺を見ることは、少なかったと思うのですが、最近病院以外の場所でも一般 住宅の玄関や廊下でも手摺をよく見かける様になりました。
昔に比べて、人の足の力や歩く力が落ちているのでしょうか?
確かに、車社会になって移動距離は大幅に広がっても、人の一生に歩く距離は減ったのかもしれません。
人は、二足歩行をして手を器用に使い始めて文明開化したと言われていますが、高齢化社会と言う要因はあるものの、基本的には“歩く動物”であることを忘れてはいないでしょうか。
口八丁手八丁という言葉はありますが、足八丁はありません。
手と口をフル回転させても基本的には、手や口では歩くことは出来ません。
歩くことが出来なければ、好きな人に会うことも出来ませんし、素敵な場所にも行けないのです。
歩けなくなると、手や口を有意義に使う機会も減るというものです。歩く力を失って初めて知る歩けることの有り難さ。歩けることは、当たり前ではなくその機能を維持するためには、やはり歩く習慣等の努力がいるのです。

私は、大正4年生まれの自分の父がノモンハンで戦争障害者になり、足が不自由であったため三度の手術を経て歩けるようになった体を維持するために毎朝体操をし、杖を突きながら会社に出掛けていたのを覚えています。
現役の頃に75kgくらいあった体重も晩年は、55kgくらいまで減らして足の負担を軽くし努力していましたが、85歳を過ぎる頃から家の中では、手摺を伝って歩けましたが、杖を使った歩行が次第に困難になり外に出たときは車椅子の使用が多くなっていきました。

人間は、いくら年を取っても出掛けることは楽しみです。
自分で歩けなくなるというのは、それが自由にできなくなると言うことです。
即ち主要な楽しみの一つが奪われると言う事でもあったのです。

人間関係は、“手と足と口”が総動員されて作られて行く物です。
その中にあって手や口の華やかさと違って、足は縁の下の力持ちの様な存在です。

自力で歩けることが当たり前の健常者にとっては、歩けるのは普通 の状態でしかありません。 車やエレベーター・エスカレーターを使用して楽をなるべく選択する足の習慣が、足を鍛えずに退化させて二足歩行では無く手足を使った歩行にしてはいないでしょうか。

歩く力が、人間関係づくりに欠かせない条件であるのであれば、足を使うチャンスを疎かにしてはならない様に思います。“歩く力”が、“食べる力”に繋がり生活力にもなるからです。

2006.1.26